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奈良地方裁判所五條支部 昭和32年(ワ)5号 判決

原告 和田ヨシヲ

被告 吉井康悦

主文

被告は原告に対し、金弐拾万円を支払え。

原告その余の請求は之れを棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

此の判決は、原告勝訴の部分に限り、原告に於いて、金五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

一、被告は菓子販売を業とし、その業務の必要上、昭和二十九年三月十七日(以下本件事故当日と称す)午後四時三十分頃、使用人にて自動車運転者の訴外大垣二三男(以下訴外大垣と略称)に訴外カバヤ食品株式会社(以下訴外会社と称す)所有の小型四輪自動車(以下本件自動車と称す)を運転せしめ、自己は助手席に同乗し、北は奈良県大和高田市より、南は同県五条町同県十津川村を経て、和歌山県新宮市に達する迄の間を、南北に通ずる国道第一八六号、大和高田、新宮線(以下本件道路と称す)上の、同県吉野郡十津川村大字風屋小字大瀬付近を、北より南へ進行中、同小字所在のエビスヤ旅館前北方約三百米の地点にある前方の見透しの効かない曲角(以下本件曲角と称す)に差し懸つたが訴外大垣は警音器を吹鳴せしめず、その他の合図をなさない侭、時速約十五粁の速力を以つて右曲角を通過し、被告も訴外大垣に対し、右措置を採らしめなかつた処、道路前方を南より北に向い、原告の長子訴外和田洋司(以下訴外洋司と略称)が、前部に弟訴外和田有友(以下訴外有友と略称)を後部荷台に友人訴外弓場哲也(以下訴外弓場と略称)を同乗せしめ、自転車(以下本件自転車と称す)を操縦し来り、訴外洋司及同有友(以下本件遭難者と総称)は右自転車と共に道路西沿いの十津川断崖より転落死亡(以下右事故を本件事故、転落地点を本件事故現場と称す)した事実は当事者間に争いがない。

二、成立に争いのない甲第二号証の一、同第二号証の二、同第二号証の三、同第二号証の八、証人西垣昭文(第一回、第二回)、同中武彦の各証言を綜合すれば、本件事故現場は北方奈良県吉野郡十津川村大字川津部落と南方同村風屋部落を結ぶ本件道路上に在り附近道路の東側は直ちに上方へ岩山の岩壁に続き、西側は直ちに断崖となつて下方約五十米に十津川が流れている。本件道路は右十津川村を通ずるに及んで屈曲殊の他多く、右両部落間の道路で、百米以上直線になつている部分は殆んどない。本件事故現場は前記風屋部落所在のエビスヤ旅館前より本件道路を北方へ約二百五十米の、道路の東方(山側)へ湾曲した部分(以下本件事故現場カーブと称す)に在り、その以北は道路が漸次西方(川側)へ湾曲し、その頂点が本件曲角であつて、本件事故現場の北方約五十米の地点にある。本件曲角以北の道路は再び次第に東方へ湾曲し、その頂点と本件曲角とその南にある本件事故現場カーブの頂点を結ぶ角度は約九十度であつて、本件曲角の北方少く共百米以上を隔てないと右曲角以南の道路は視界に入らず、右曲角の南方より北方を望見した状況も略同様であつて、右曲角は前方の見透しの効かない場所と認めうる。尤も本件曲角の北方約三、四米の地点より、右曲角南方約七米の地点が望見できるか、右曲角より南へ事故現場に至る道路西側の断崖には雑木等が繁茂し、その高さ道路上約二米に達するに付き、その見透し良好とは云へない。本件曲角南北の道路は、その幅員概して約四、五米であるが、その内車馬が通行できる有効幅員は約四米にて、本件事故現場の南北約五米の間はその幅員約三米に過ぎない。従つて本件事故現場付近の本件道路は普通自動車の対行交通は不可能なるも、小型四輪自動車と自転車の対行交通は可能である。亦右道路は車馬の交通が頻繁でないため、本件自動車にあつては、道路交通取締法施行令第十五条第一項第二号に定むる昼間の最高速度、時速四十粁の制限以上に、道路交通取締法第十条第二項所定の公安委員会の定むる制限がない事実が認められ、素より地域より見て歩道車道の区別もないことが推認される。猶本件自動車は、岡山市下石井町一九八番地に本店を有する訴外会社所有の登録番号岡八―一〇〇七〇号、長さ四、二八米幅一、六二米高さ一、九六米、幌型トヨペツト、トラツク型、乗車定員二名の放送宣伝用小型四輪自動車にて車体は黄色に塗装されていた事実が認められる。

三、原告は、本件事故は被告使用人訴外大垣が本件自動車を運転して、警音器を吹鳴せしめず、その他の合図もせず、徐行もしない侭、本件曲角より、突如、訴外洋司が操縦し、同有友、同弓場の同乗する本件自転車の前面に顕われ、訴外洋司を狼狽させ、自転車の操縦を誤しめた過失に基くと主張するに対し、被告は右事故が同訴外人の過失に基くとの点を否認し、右は単に訴外洋司が自転車の操縦を誤つたに基因すると抗争するに付き此の点を検討する。成立に争いのない甲第二号証の三、同第二号証の四、同第二号証の五、同第二号証の六、同第二号証の七、証人西垣昭文(第一回、第二回)同弓場哲也の各証言、原被告本人訊問の結果を綜合すれば、本件事故当日午前八時頃、被告は、日頃自己の店舖で販売する訴外会社製造の菓子類を、奈良県吉野郡十津川村大字平谷に到る沿道に於いて、宣伝旁々販売するため、右会社より使用を許されている本件自動車運転台の操縦席(但し進行方向に向い右側)に、菓子配達のため雇つている自動車運転者訴外大垣を搭乗、運転せしめ、自己はその左側の助手席に座し、此の販売を応援に来た訴外会社員三名等が操縦する同会社所有の宣伝用小型四輪自動車(以下本件外自動車と称す)を誘導して、奈良県五条町商励会通の被告店舖を出発し、本件道路を北より南へ進行、途中菓子類の宣伝販売をなしつつ同日午後四時三十分頃、時速約十五粁の速力を以つて、特に警音器を吹鳴せしめず、その他の合図をなさない侭、本件曲角を通過し、本件事故現場カーブに従い約三十米前進の際、訴外大垣及び被告は、道路前方約十二米の地点を、南より北に向い、一見して小学校生徒と判かる訴外洋司が、前部に訴外有友を、後部荷台に訴外弓場を同乗せしめ、本件自転車を操縦進行し来るを認めたが、訴外大垣は道路左側(本件の場合東方山側)に本件自動車を避譲せしむることなく、同一速力を以つて略道路中央を前進し、相互の間隔が約六米に接近した際、本件自転車が左右によろめくのが認められたが、急停車することなく、同一体勢を以つて本件自動車の前進を続け、更に相互の間隔が約二米に切迫した刹那、本件自転車は突如道路西側の崖辺に突進し、訴外弓場は先づ所持の鞄を路上に抛り出して飛降りたが、訴外洋司は左足(崖側に面する足)を地に着けて右自転車を停止せんとしたが、大人用のため、足が地に届かず、訴外有友及び同自転車共道路西側の断崖より約五十米下方の十津川水流に転落した。本件自動車と本件自転車の距離が約六米に迫つた際、本件自転車は道路幅員約三米の場所に在り、前方より幅員約一六二米の本件自動車が道路中央を進行し来るため、右自動車両側の道路余裕は僅か各〇、六九米に過ぎず訴外洋司は右自動車の左右孰れの余裕を前進するに付いても危険を感じ、右左右孰れに避譲すべきやをまどい本件自転車を或いは左に或いは右にその方向を進転せしめたが、操縦技能未だ未熟なる上、訴外有友、同弓場を同乗せしめているため、自転車の操縦意の如くならず、本件自動車が前方約二米に迫るに及んで突嗟に、道路左側(本件の場合西方崖側)に避譲し、左足を地に着けて本件自転車を停止せしめんとしたが及ばなかつた事実が認められる亦本件遭難者は訴外弓場と同じく、本件事故現場の北方約一粁の十津川村跡谷より、同所南方の風屋部落の東北、同村大字滝川に在る花園小学校に在学し、日々徒歩にて通学していたが、事故の前日、訴外弓場は訴外洋司を自己の自転車に同乗せしむることを約した為め、本件事故当日、訴外弓場はその所有に係る本件自転車を操縦して登校し、午後三時頃帰途に際し、後部荷台に訴外洋司を同乗せしめ、右自転車を操縦して同村風屋部落エビスヤ旅館付近迄来た時、訴外有友に出合い、其処より訴外洋司が訴外有友を前部に、訴外弓場を後部荷台に相乗りせしめ、本件事故現場カーブに差懸つたが、訴外弓場は幾多屈曲場所を隔てた道路前方少く共五百米の地点を一台の自動車が北より南へ進行し来るを認め、訴外洋司にその旨注意し訴外洋司は同自動車が来る迄には相当時間的余裕ありと思い、付近の道路にて幅員稍広き部分を探して待避せんとしていた処、前方約十二米の道路中央を本件自動車が南進し来り、本件事故が生じた事実が認められる。訴外大垣は右事故を見るに及んで、本件自動車を停車せしめ、被告及び訴外弓場と共に、本件事故現場より崖を降り本件遭難者の救助に赴いたが、同人等は十津川水流中に伏向に浮いているのを認め、之れを引揚げている際、本件外自動車が遅れて事故現場に到着し、その乗員も協力して本件遭難者を救出したが、同人等は頭部等に重傷を負い既に死亡していた事実が認められる。猶訴外弓場が目撃した前方約五百米以上の距離を南進する自動車は本件事故現場へ遅れて到着した本件外自動車と認める。以上認定に反する証人弓場哲也の証言、被告本人訊問の結果、甲第二号証の四、同第二号証の七記載の訴外大垣の供述、同第二号証の五記載の被告の供述は措信し難い。以上の認定に従へば、訴外大垣は自動車運転者として、本件事故現場付近の如く、道路東側は絶壁となり、西側は断崖となつている道路交通上の危険地点に於いては絶へず前方を注視し、道路前方約十二米の地点に本件自転車を認めその操縦者が年少の小学生にて然も三人乗の危険な態勢を以つて進行し来たときは、警音器を吹鳴せしめ、成るべく速に道路西側(本件自転車よりすれば左側)に避譲する様注意を促すは道路交通取締法第八条の要請する注意義務なるに不拘、同訴外人は警笛を吹鳴せしめず、本件事故現場付近の本件道路の如き車道、歩道の区別なき狭溢な道路にあつては、本件自動車は出来うる限り、道路左側(本件の場合東方山側)を進行し、対行の車馬を安全に通行せしむることは道路交通取締法第三条、同法施行令第十一条第一項に定むる注意義務なるに不拘、右訴外人は之れを怠り、道路中央を南進し、本件自動車と本件自転車の間隔が約六米に接近し、殊に右自転車がその方向を或いは右、或いは左等よろめく様な危険な態勢を示すときは、一時停車し右自転車が安全に待避するか又は対行したとき初めて進行すべきことも道路交通取締法第八条の定むる注意義務なるに不拘、前記訴外人は右措置に出でず相互の間隔約二米に切迫し、本件自転車が道路西端崖下に転落した時始めて停車したことは、右各交通法令の違反なると同時に、自動車運転者として重大な過失である。訴外大垣が右注意義務を遵守するに於いては本件事故発生は容易に避け得られたものと認める。結局本件事故は、本件自動車が狭溢な道路の中央を進行し、本件自転車がその左右孰れに待避せんかとまどふに不拘、依然進行を停止せず、右自転車の操縦者訴外洋司を狼狽させ、運転を誤らしめたこと及び訴外洋司が操縦技能未熟なるに不拘、大人用自転車を運転し、然も他人を乗車せしめ、操縦の自由が著しく失われていたことが競合して惹起したものと認定する。従つて訴外大垣の過失は本件事故の一因をなして相当因果の関係がある。原告は訴外大垣が警音器を吹鳴せしめず、時速十五粁以下に徐行もせず本件曲角を通過したことが本件事故の一因であるとの主張の他に、突如本件自動車が前面に顕れたことも事故の発生原因と主張するに付き、訴外大垣が前記注意義務を怠つたこともその原因と主張する趣旨に解することができ、本件事故は、訴外大垣が被告の商品宣伝販売のため本件自動車を運転中発生したこと前記認定の通りに付き、右訴外人の本件遭難者に対する不法行為は被告の業務執行に付いて生じたものと認むべく、被告は本件遭難者の母原告に対し、本件事故によつて蒙つた精神的打撃に対し、慰藉料支払いの義務がある。猶被告よりは、訴外大垣に対する選任監督に付き相当の注意をなしたか又は相当の注意をなすも損害を生じ得べき旨の主張立証はない。亦本件の場合訴外大垣が本件自動車を進行せしめた速力、時速約十五粁は何時にても急停車なしうる速力にて、同速力を以つて本件曲角を通過したことは、道路交通取締法施行令第二十九条第一項に所謂徐行をなしたものと認めるを相当とし、更に右曲角より本件事故現場迄も同一速力にて前進したが、右速力は道路交通取締法第八条に所謂公衆に危害を及ぼす速力とは認め難く、訴外大垣に速力に付いての注意義務違反はない。猶成立に争いのない甲第一号証、同第二号証の六、証人弓場哲也の証言、原告本人訊問の結果を綜合すれば、本件事故当時訴外洋司は満十二歳(昭和十七年二月一日生)、同有友は満七歳(昭和二十二年二月八日生)にて、共に母原告に対して従順な性格であつたが、訴外洋司は近所の学友訴外弓場が自転車を所有していることを知り、之れに搭乗したく、事故の前日その旨訴外弓場に申入れたが、同訴外人は父母より自転車にて危険多き本件道路を通行すること、殊に他人を同乗せしむることを厳禁されていたに不拘之れを承諾し、本件事故当日本件遭難者及び訴外弓場が同一自転車に同乗するが如き危険な態勢を以つて本件道路を進行した事実が認められ、訴外弓場が本件遭難者と同一村の小学校同級に在学し、その智能発達の程度も略同じき点を勘考すれば、本件遭難者は本件事故当時未だ自己の行為の責任の弁識能力を有しなかつたものと認めるを相当とし、原告に於いて、右の如き危険な行為をなさない様日頃より充分の注意を与へて置くなれば親に従順な本件遭難者は斯ゝる挙に出でなかつたと認められるに不拘、原告に右注意警戒をなした形跡なく、原告の右遭難者に対する平素の監督上に過失があり、之れは被告の原告に対する慰藉料の額に付いて斟酌するを相当とする。

四、依つて原告が被告に対して請求する慰藉料の額に付いて検討するに、成立に争いのない甲第一号証、同第二号証の六、同第三号証の一、同第三号証の二、証人弓場哲也の証言及原告本人訊問の結果を綜合すれば、本件遭難者は原告とその内縁の夫訴外和田宗安との間に、奈良県五条町に於いて出生し、訴外和田の扶養を受けていたが、昭和二十四年右訴外人と原告は内縁関係を解消し、爾来原告はその子との生活のため、居住町の旅館女中として住込み、本件遭難者の養育方を他家へ委託し、右遭難者は其処で成長して五条小学校に通学し、孰れも学業成積優秀にて素行も端正であつたが、昭和二十九年三月六日頃、原告は奈良県吉野郡十津川村跡谷所在、木材搬出人夫の止宿する津川飲場に、原告の食事は雇主負担の条件にて、日給二百円(一ヶ月六千円)の住込み炊事婦に雇われるに当り、本件遭難者を伴い同地に移転し、右遭難者は其処より十津川村立花園小学校に通学、訴外洋司は六年生、訴外有友は一年生として夫々在学していたが、原告には本件遭難者の他家族なく、右二児の成長にのみ前途の光明を認めていた処、本件事故によつて、俄に之れを喪い、その精神的打撃真に甚大なるものがある。現在原告は、奈良県吉野郡十津川村大字滝川、訴外杉村政美方に寄食し、同訴外人の同情により同家の家事を手伝い、一ヶ月千円乃至千五百円の小遺銭の支給を受け辛じて生活し、素より資産の目すべき何物をも有しない。之れに反し、被告本人訊問の結果によれば、被告は奈良県五条町の一流の商店街通称商励会通りに店舖及住宅を構へて、盛大に菓子卸商を営み、その商品売上高は月額五、六十万円を降らず、扶養家族としては妻の外、長女(九歳)次女(七歳)あるのみにて係累少く、父は和歌山相互銀行に在勤し、被告とは独立の生計を営み、恵まれた環境に於いて中流以上の生活を営んでいる事実が認められる。依つて本件事故に関する諸般の事情、原被告の生活状態、原告の過失をも斟酌し、被告の原告に対して支払ふべき慰藉料の額は金二十万円を以つて相当と認め、原告の請求は右限度に於いては正当として之れを認容し、その余は失当として之れを棄却し、訴訟費用の負担に付いては民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言に付いては同法第百九十六条を夫々適用して主文の通り判決する。

(裁判官 木下喜次郎)

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